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自分なりの働き方改革

[2020.05.29]

今回のトピックは現在話題となることの多い働き方改革です。私は今までずっと日本的な働き方を疑問に思っていました。ここ最近は、政府も労働基準法を改正して働き方改革を推進しており、もしかしたらアフターコロナには日本の働き方はずいぶん変わるかもしれません。今回は日本とドイツで働いた経験をもとに、これまで自分なりに実践してきた働き方改革について書きたいと思います。

外科医としての日本での働き方

私が慶應義塾大学病院の初期研修医として働き始めたのは2002年。それ以降、ずっと慶應義塾大学医学部脳神経外科学教室内での医局人事で医師として働いてきました。当時は臨床研修制度が始まる前でした。現在は初期臨床研修を2年修了してから専門の科を決めるシステムですか、旧制度では医学部卒業前に専門の科を決め、卒業後に医師免許を取得して働き始めるのが通常でした。私は外科医に憧れていたので、あまり深く考えることもなく外科を選択しましたが、外科研修医(フレマンと呼ばれる)の生活は噂通り過酷で大変なものでした。

医師になりたてなので、当然フレマン1人では何もできません。なので朝早くから夜中まで病棟を駆け回りながら諸先輩の指導のもと、休みなく猛烈に仕事をしました。あまりに忙しくて何日も着替えられなかったり、家に帰れなかったりする日々が続きました。2002年に開催された日韓ワールドカップもほとんど記憶にありません。仕事といっても大学病院ならではの本当に医師の仕事か?というような雑用もたくさんあり、今更ながらとんでもない仕事を選んでしまったと後悔することもありました。ただ、この生活が苦しく大変なだけかと言われるとそうではなく、フレマン仲間と困難に打ち勝つためのかけがえのない絆が生まれました。また上級医は優しい先生方ばかりで、フレマンは無給医だからということでよく食事をご馳走になりました。フレマンの生活はつらいものではありましたが、それと同時に非日常的な楽しさもある思い出深い時間でもありました。

フレマンだった頃の慶應義塾大学病院

フレマンとしての生活も終わり、慶應の関連病院に出張して、脳神経外科医として働き始めた後期研修医時代には上司によって労働環境が変わりました。中にはとんでもない上司がいて、自分が帰宅するまでは部下を絶対に帰さない、病院からは一歩も出るな、食事はすべてコンビニで買えなどの指示にはいつも呆れていました。とにかく外科系の若い医師は今も昔も労働基準法など全く関係ないような生活を送り、その事に関して疑問すら抱きませんでした。

大学での研修もすべて修了し、2010年から勤務した済生会横浜市東部病院では、病院が救急医療に力を入れていることもあり、仕事自体は非常に大変でしたが当直明けの翌日が休みになるという画期的なシステムでした。また、理解ある上司のおかげで仕事をするときは集中して行い、休みもきちんと取ることができました。今から思えば東部病院での労働条件は医師としては先進的なものだったと思います。上司の考え方やシステム次第で労働環境は随分と変わるものです。

ドイツ人の働き方の衝撃

 2014年にドイツに留学した際に、まず何よりびっくりしたことは日本との労働環境の差です。結論を先に述べると、ドイツ人の働き方は日本人よりも労働時間が短いのに、労働生産性が高いことに衝撃を受けました。

ドイツでは一日8時間と労働時間が決まっており、これはどの業種でも絶対です。例えば、病院で手術をしている教授が労働時間を超えそうになると、「手術をこの時間までに終わらせなくてはならない」とめちゃくちゃ急いで手術を何とか時間内に終わらせたのをよく目にしていました。彼らにとって労働は人生のすべてではなく、あくまで生活の一部です。なので、仕事が終わると一杯飲みに行くこともありますが、大概はすぐに帰って家族と過ごすことが多いです。公園には昼間から子供を連れて遊びに来ている父親がかなりおり、日本ではなかなか見られない光景です。

公園に日中、父親が子供を連れて遊びに来ている光景

私も仕事が終わると幼稚園に子供を迎えに行き、そのまま公園に向かいました。また、住んでいた家の近くの教会の周りで、子供たちは歩く練習や自転車の練習をしました。午後3-5時くらいまで子供と一緒に遊び、日本では味わうことのなかった幸福感に浸ったものです。

家の近くの教会(Zionskirche, Berlin)

 

ヨーロッパ人の休暇はとにかく長く、ドイツ人は特に長くて8週間休みを取ります。これ以外にも体調の悪いときは通常の有給とは別に病気休暇を取ります。とにかく日本人と比べると休暇が比較にならないくらい多いのです。こんなに休んでも社会がよく回っているなと不思議に思い、彼らの働き方をよく観察しては分析しました。

終わりが決まっている働き方

私が気づいたことは、彼らは終わる時間を決めて働いているということでした。
終わる時間を決めているので、その時間内で仕事を終わらそうと集中して、もし残ったとしても残業はせずに、後日に持ち越すということです。彼らの仕事への集中力を見て、日本よりも高い生産性に納得しました。残業してでも終わるまで仕事をする日本での働き方と全く真逆です。終わる時間が決まっているからこそ生産性が高まり、終わりの時間が決まっていないとどうしてもだらだら働くことになるので生産性が低くなるというのが両国を経験した私の結論でした。

合理性の裏にある不便さ

ドイツ人の終わりの時間を決めた働き方は私には新鮮に見えましたが、それと同時にその裏に潜む不便さも感じていました。例えば、市役所等の受付では部署によって開いている時間が決まっており、担当の人間がいない時は全く対応してもらえず、時間が過ぎると業務がすぐに終わってしまいます。そこには懇切丁寧に説明してくれたり、時間を延長するといった日本的な忖度は全くありません。また宅配も不在時は応答してくれた近くの住人に預けられるという日本では信じられないようなシステムです。我が家でも近隣のドイツ人の不在荷物を預かることがよくありました。日曜は基本的に休みなので、買い物も大きな駅に行かないと店が開いておりません。こういう状況を経験して、私はドイツのやり方がすべて正しいとは思いません。全てが合理的で無駄をなくそうというドイツ社会の努力はよくわかるのですが、日本のサービスに慣れ親しんだ私からすると、時にドイツでの生活には不便さを感じました。それと同時に日本でのサービスは過剰なのではないかとも思いました。何事もバランスが重要だと思います。

帰国後に始めた、自分なりの働き方改革

ドイツから帰国後、静岡に異動してからは医局後輩(レジデント)を指導する立場となりましたので、今までの経験を基に自分なりの働き方改革を進めるようになりました。研修医には私の仕事の終わりにかかわらず、自分の仕事が終われば帰っていいと指導しました。とはいえ、やはり抵抗があるようで、実際に私よりも早く帰るようになるには時間がかかりました。また、私が当直の日はすべての当番を引き受けることにして、レジデントを完全にフリーにしました。クリスマスイブに私が当直をして、レジデントを自由にさせたのは今でもいい思い出です。

クリスマスイブに当直食として出されたケーキ
病院で食べるケーキは格別でした

脳神経外科医は夜中に緊急の患者さんの対応で呼ばれることが多くあります。なので、やることがないのに病院にだらだら待機しているのは意味がなく、むしろ呼ばれた時に迅速に病院に向かい対応する事が大切だと思います。自分が若いころにされた嫌なことを、自分が上の立場になった時に下の人間にはしないことは、負の連鎖をなくすうえでも非常に重要だと考えています。こうした話をすると、私より上の世代の先生には嫌な顔をされることもありますが、同世代の先生方は私と同じような考えの人が多いと感じています。

“気合い、根性”の精神論からの脱却

日本ではとかく気合い、根性といった精神論を基に生き方や働き方を語られることが多いように思います。私自身も学生時代のクラブ活動や医師としての生活において、精神論に基づいて行動してきました。しかし、ドイツ留学で異文化に触れることで、気合い、根性の精神論から脱却できたと思っています。日本社会の一番の問題は生産性の低さで、そこから精神論に根付いたいわゆる「ブラックな働き方」や「ブラック企業」などが生まれてくるのではないかと自分では思っています。医師、とくに外科系の医師はよく体育会系だと一括りにされるものですが、私はこのような生産性の低い精神論からは早く卒業したほうが幸せになると考えています。

病棟オープンにあたって

当クリニックでは病棟が近日中にオープン予定で、新規スタッフを募集しております。新しいチームを発足させるので、そこにはしがらみやしきたりはございません。私は新病棟チームと共に、仕事とプライベートを両立させる、生産性の高い働き方を目指していきたいと思います。当クリニックでの勤務に興味のある方はぜひともご連絡ください。

川崎中央クリニック人材採用ページ

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